人類とオリーブの関係は、はるか旧石器時代にまでさかのぼることができます。オリーブは、地中海沿岸地域において最も経済的に重要で、主要な作物の一つとされています。最も古い例としては、イスラエルのゲシェル・ベノット・ヤアコブ遺跡において、約79万年前にオリーブの木が燃料として使用された痕跡が発見されています。また、約2万3千年前のオハロII遺跡では、野生のオリーブの果実が食用として利用されていた可能性が指摘されています
これらのことから、人類は旧石器時代からオリーブを多目的に利用していたと考えられます。オリーブは後の時代においても、調理用だけでなく、灯りをともすための油や宗教儀式での供物、建築材、医療用途など、さまざまな目的で広く使われてきました。
では、オリーブに関する直接的な考古学的証拠には、どのようなものがあるのでしょうか。これらの証拠は大きく4つに分類されます。まず、オリーブの種子や木材、搾油の際に生じた搾りカスといった「マクロ化石」。次に、オリーブの花粉などの「ミクロ化石」。さらに、オリーブの加工に使われた石皿や貯蔵容器などの「道具類」。そして、「文献資料」です.
新石器時代に入ると、オリーブの利用はより組織的で計画的なものへと変化していきます。たとえば、イスラエルのアトリット・ヤム遺跡(約9,000~8,500年前)からは、オリーブの木材や花粉が出土しており、この時期にはすでにオリーブが人々の生活圏内で重要な存在となっていたことがわかります。
また、土器新石器時代の遺跡では、多くのオリーブ果実が出土しています(Kfar Samir、Kfar Galim、Tell Hreis、Megadim)。特に注目されるのは、Ein Zippori遺跡(約7,800年前)で、土器の内部から高オレイン酸を含むオリーブ油の残滓が検出された例です。
さらに、Kfar Samir遺跡(約7,600~7,000年前)では、オリーブの搾りカスが大量に廃棄された痕跡が見つかっており、これが現在確認されている最古のオリーブ油生産の証拠とされています。この遺跡では、石皿や小枝で作られた濾過器、搾りカス(ポマース)などが土坑から出土しており、オリーブ油の製造が初期段階にあったことがうかがえます。これらの果実はまだ野生のものであり、この時期から野生種から栽培種への移行が始まったと考えられています。
考古学的な痕跡は、主に南レヴァント地域に集中していますが、遺伝学的な研究によると、現代の栽培オリーブの約90%が「クロロタイプE1」と呼ばれる遺伝的特徴を持っており、その起源はトルコとシリアの国境地帯にあるとされています。このことから、オリーブの栽培はレヴァント北部を中心に始まった可能性が高いと考えられます。
ミケーネ文明(特にクレタ島での銅石器時代)では、麦・ワイン・オリーブといった作物の登場によって社会が発展したとされます。また、オリーブは痩せた土地でも栽培が可能で、生産余剰を生み出すことで人口の増加や社会経済的な変化、技術の発展や交易の拡大を促したと考えられています。
青銅器時代には、オリーブ栽培およびオリーブ油の生産がさらに拡大し、地中海地域の社会や経済に大きな影響を与えるようになります。紀元前14世紀のウガリット文書には、オリーブ油の取引に関する記録が残っており、当時すでに広範な交易ネットワークが存在していたことがわかります。

(オリーブに関する遺跡の分布図)
トルコにおける初期のオリーブ栽培
遺伝学的証拠からも、シリア北西部およびトルコ南東部の国境地帯がオリーブ栽培の中心地であった可能性が指摘されています。たとえば、後期新石器時代(紀元前7800年)にあたるトルコのキリキア地方(主にトルコ南・南東部)にあるユムクテペ遺跡では、オリーブの種子が出土しており、これはオリーブ栽培の初期の証拠とされています。
また、南東アナトリアに位置する複数の遺跡(Tilbeşar Höyük、Horum Höyük、Gre Virike、Tell Tayinat、Kilise Tepe、Kinet Höyük)では、前期青銅器時代(紀元前2500年頃)以降にオリーブの木材や種子が見つかっており、この地域でもオリーブ栽培が行われていたことがうかがえます。ただし、オリーブの種子の出土数は全体的に少なく、オリーブ油の生産に関する明確な考古学的証拠は限られています。
ヒッタイト時代におけるオリーブの利用
ヒッタイト時代(首都:ハットゥシャ)の文書からは、特にキリキア地方におけるオリーブ栽培の実態がうかがえます。これにより、オリーブがヒッタイト経済の中で重要な役割を果たしていたことが確認されています。また、紀元前12世紀頃には、オリーブがエジプトとの交易に使用されていたことも知られており、オリーブの商業的重要性が地中海全域に広がっていたことがわかります。
さらに、トルコ沖で発見されたウルブルン沈没船からは大量のオリーブ種子が出土しており、後期青銅器時代(紀元前14世紀頃)の地中海交易におけるオリーブの中心的な役割を示しています。また、南西トルコにおける花粉分析の結果から、紀元前1500年頃以降にオリーブ花粉の急増が確認されており、これは当時の農業および果樹栽培の拡大を示す重要な証拠とされています。
オリーブはヘブライ語で「zeyt」と呼ばれ、アラビア語では「zaytun」、最終的には現代トルコ語で「zeytin」へと変化しました。ヒッタイト文書では、主にアッカド語が使用され、「Ì GIŠZERTI/UM」または「GIŠZERTUM」と記されています。このことから、ヒッタイト語にはオリーブを表す独自の単語がなかったと考えられ、ヒッタイト人にとってオリーブは地理的に外来の植物だった可能性が高いとされています。
ヒッタイト王国の粘土板文書には、オリーブの木に関するさまざまな記述が見られます。たとえば、神官が出産儀式でオリーブの木を用いることや、失われた神々をオリーブやオリーブ油で呼び戻す神話、オリーブを使ったパンの記述などがあります。また、農耕と植物の神であるテリピヌへの供物としてオリーブの木が使われ、家庭内暴力を防ぐための魔術にも登場します。これらの文書から、オリーブがヒッタイト社会において宗教的・儀式的・魔術的な目的で非常に重要な役割を果たしていたことがわかります。
加えて、気候的に現在と大きく変わらないヒッタイト中核地域ではオリーブが栽培されていなかったと推測され、主に南部・西部・南東部の属州から贈答品や課税品として首都へ送られていた可能性が高いと考えられます。このことからも、オリーブはヒッタイトにおいて宗教的価値だけでなく、経済的にも重要な資源だったことが示唆されます。
古代都市クラゾメナイにおけるオリーブ油製造施設
現在のトルコ・イズミル県ウルラに位置する古代都市クラゾメナイ(Klazomenai)では、紀元前6世紀に遡るオリーブ油製作所の遺構が発見されています。この施設では、母岩に深さ約1メートルの穴が3か所掘削されており、そのうち2つは下部で連結されている構造を持っています。
考古学調査により、この施設がオリーブの搾油と油水分離の工程を担っていたことが明らかとなり、当時のオリーブ油製造プロセスが復元されています。(図1参照)
以下は推定される生産工程です。
1.石製の臼を使ってオリーブの果実をペースト状に粉砕する。
2.そのペーストを布袋に詰め、木製の台の上に重ねて置く。
3.天井に設置された定滑車により操作される大型の木製圧搾装置で圧力を加える。
4.抽出された油水混合液は中央の穴に流しこむ。(図2参照)
5.比重の重い水分は連結孔を通って右側の穴に流れ、軽い油分は中央の穴に残る。
6.最終的に油は左側の穴に移され、柄杓で掬ってアンフォラに移され、貯蔵あるいは流通に供されたと考えられている。
この施設は、古代地中海世界におけるオリーブ油生産の技術的進歩と、オリーブが商品作物として重要な位置を占めていたことを示す、極めて貴重な考古学的証拠となっています。

(図:1 オリーブオイル製作所復元図、Koparal 2002)

(図:2 オリーブ油と水の分離作業、Koparal 2002)
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